1.はじめに

 広島県は温暖な気候に恵まれ、果実類の栽培が盛んです。レモンとネーブルオレンジは全国1位、みかんは全国10位となっています(広島県の農林水産業、2025)。柑橘の収穫作業は採果鋏を用いて、主に12月から2月の寒冷期に行われます。ある農家では、1日に約1万個を収穫しており、切断した枝で果実を傷つけないよう、再度,枝を切る「2度切り」作業が必要です。収穫は約50日間以上続くため、1シーズンでは合計100万回もの鋏の切断動作が生じます。採果鋏には、刃の回転軸付近に金属製の打ち合い部があり、切断のたびに衝撃が手指に伝わります。こうした衝撃の蓄積に加えて、高所や低所にある果実を収穫する際の不良姿勢も重なり、頸肩腕障害などの筋骨格系障害につながるケースが多く見られました。この課題を解決するため、私が所属する広島県立総合技術研究所の工業技術センターと農業技術センター、さらに産業医である宇土博氏の三者で、衝撃を緩和する採果鋏の開発に取り組みました。

2.内容

 本稿では、人間中心設計プロセスに沿って取り組みを説明します。まず、農業現場に近い柑橘の専門家から得られたニーズを基に事前調査を実施し、課題解決における人間工学的価値を明確化しました。同時に、その場でラフなプロトタイピングを行い、グリップエンドに緩衝材を設ける案を検討しました。さらにデザインレンダリングによって目指すべき姿を可視化し、開発の方向性と目標を設定しました。

 続いて、現場での作業調査や作業者の身体状況の確認を通じて利用状況を把握し、鋏に求められる要求項目を整理しました。主要課題である衝撃緩和については、グリップ形状や素材硬度の選定・最適化を技術的検討項目として設定しました。

 課題解決に向けて、硬度や形状が異なる複数の実験用プロトタイプを作製し、まずは実験室において1時間のカット作業実験を行いました。その結果、適正な硬度を決定するとともに、形状の絞り込みを進めました。従来の鋏と比較して、自覚的痛みスコア(Borg Scale)は約1/3まで低減することが確認できました。

 その後、実際の農家に試作品を使用してもらい、使用感や改善点を抽出し、それらを踏まえて設計と試作を繰り返すことで完成度を高めていきました。

 最終的には、製造方法やコスト面も考慮したうえで、実用化につなげることができました。

3.おわりに

 筋骨格系障害の発生を低減させるためには、不良姿勢の改善や繰り返し作業の削減など、さまざまな対策が考えられます。本研究では特に、局所的な負担を分散させること、すなわちグリップエンドに大きめの緩衝材を設けることや、適度に柔らかく厚めのグリップとすることがキーファクターであると位置付けました。

 本稿では詳細を示していませんが、繰り返し加わる衝撃による痛みの差は、20~30分経過して初めて従来品との差が現れます。つまり、数回の試し切りではその違いを実感することはできません。このことから、現場に即した実験系を構築する重要性が理解できます。

 今回の開発では、人間中心設計プロセスに沿って進めました。最初の段階で、目指すべき姿を「目で見て手で触れる形」に可視化できたことが、工業、農業、医療の異なる立場のチーム間で課題と解決方法に関する共通理解を生み、最終目標を明確にする上で非常に有効でした。この点が、開発を円滑に進める上で重要なポイントであったと振り返っています。

 最後に、農林水産基本データ集(農林水産省,令和7年)によると、基幹的農業従事者数は年々減少しており、令和6年の平均年齢は69.2歳と高齢化が進んでいます。このことから、農業現場では担い手不足が深刻化しており、新規就農者を呼び込むためには軽労化や生産性向上が喫緊の課題となっています。開発した鋏は農業従事者を中心に1万人以上にご利用いただいています。このような開発を通じて、農作業のみならず、医療分野を含む幅広い領域において筋骨格系障害解決の一助になれば幸いです。

推薦図書・論文

ステファン・コンズ/スティーブン・ジョンソン著、宇土博・瀬尾明彦監訳. ワークデザイン第7版. Work Design. 東京、労働科学研究所発行、2013.

「Work smart, not hard(懸命ではなく、かしこく働く)」という言葉に出会いました。本書は、この考えの実現を目指し、人間工学を活用して作業環境の改善を進めるための実践的なテキストです。個人的にも、アメリカ・カンザス州にてコンズ先生にお会いし、軽労化や生産性向上の方策について直接アドバイスをいただけたことは、非常に貴重な経験となりました。

日本規格協会(編). JISハンドブック37-3人間工学. 東京、日本規格協会発行、2023.

説明不要だと思いますが、作業環境、安全、インタラクティブシステムなど人間工学の標準化に関するハンドブックです。人間中心設計プロセスについての説明もあります。机の横においていつでも見れるようにしています。

宇土博. 軽労化で農業の再生② 農業における手指の負担軽減対策- Dr.Cut 負担を軽減した採果鋏.労働の科学.2023、78(10)、p.42-47.

本稿で紹介した採果鋏の開発について詳しく述べられています。鋏だけでなく農作業の人間工学的対策についてシリーズで解説されています。引用文献をたどることで、関連する発表論文にアクセスできます。

著者プロフィール

横山 詔常 Noritsune Yokoyama

広島県立総合技術研究所 西部工業技術センター
生産技術アカデミー・製品設計研究部 部長

日本人間工学会、日本生理人類学会、日本感性工学会など

地域製造業の技術的な支援を行う「公設試験研究機関」にて研究開発や技術支援に従事しています。広島県は輸送機械、機械金属加工、電子電機・情報機器、インテリア、アパレルなど多種多様な産業で構成されており、人間工学の相談も様々な業種から寄せられています。近年では、広島地域の「感性」に基づいた製品を社会実装する取り組み(感性実装)への協力や、JESの企画運営委員会にて企業向けのセミナーを開催するなど、企業への人間工学関連技術の普及活動を実践しています。