1. はじめに
“人間工学的デザイン”や“人間工学に基づいたデザイン”とは、どういうことでしょうか。人間工学の規格は、こちらで詳しく解説されています。規格に準拠することで、原則的に、精神的・身体的ストレスが小さく、わかりやすく、使いやすい物の設計を目指すことができます。
しかし人間が滞在する環境や使う物は多岐にわたり、目的も様々ですので、個別のデザインまで規格だけでカバーすることができません。そこで実際の現場では、エキスパートレビューとユーザビリティテストが行われることがあります。
2. 内容
エキスパートレビューとは、専門知識を活用して、問題から課題を明確化し、評価することです。私どもはさらに、デザイン・ソリューション(解決策)の提案まで含めています。
<例えば、立ち仕事が辛い、という問題の場合>
課題の明確化
辛さの原因は筋負担か、下肢の浮腫か、脊柱の重力負担か、長時間立ちっぱなしであることか、などと仮説を立てて評価し、影響力の大きい要因を明らかにします。
解決策①
下腿の筋ポンプ作用を外部から支援する装着具(業務上、座ることが許されないならば、生理的に介入できるような方法をデザインします。)
解決策②
座ることで仕事のパフォーマンスが向上する椅子(立位が望ましいという慣習があるならば、その慣習を打ち破るような説得力のあるものをデザインします。)
ユーザビリティテストとは、対象を評価するためのタスクを被験者に行わせ、タスクパフォーマンス(作業成績)と生体反応の計測、質問紙調査などを行って、客観的に使い勝手を評価することです。
<例えば、大腸内視鏡の操作部が対象である場合>
タスク
ファントム(模型)を用いた検査や治療の手技
作業成績
模擬病変部の発見にかかった時間、切除に要した時間とその正確さ
生体反応
作業負担(筋電図)、中枢神経系の負担(脳波)、自律神経系の負担(心拍変動や血圧)
質問紙調査
ボディマップによる負担部位の申告、VAS(Visual Analogue Scale)法による負担感の数値化
上記の例は別々のものでしたが、実際はエキスパートレビューによる解決策が出たら、それを試作し、ユーザビリティテストで評価します。そして、その結果をデザインにフィードバックしてまたエキスパートレビューを行う、ということを繰り返すと、人間工学的デザインの仕様が決まっていきます。
図1. 人間工学的デザイン
人間工学的デザインでは、人間の形態、生理、心理特性をもとに、発想し、評価し、仕様決定を行います。背景にある地球は、個人としての人間、あるいは集団としての人間を取り囲む環境を表します。環境には、自然環境のほか、人工環境や情報環境、文化や慣習も含みます。デザインされたものは、人間がおかれた環境に還元されます。それらの根底を規格が支えています。
3. おわりに
このように、人間工学的デザインとは、規格の原則に根差したうえで、人間の形態、生理、心理および社会的側面を科学的に考えながら、発想から評価、仕様の決定までを行って、社会実装を目指すものです。
推薦図書・論文など
安全で安心、使いやすく、過ごしやすい。そういった設計をするためには、原理・原則が必要です。人間工学会では、基本的かつ共通の技術的取り決めとして、国際規格(ISO規格)と国内規格(JIS規格)を積極的に審議、制定しています。
伊東泰久,「使いやすさ」の数値化と新商品開発への活用.研究開発リーダー.2019,154,p.7-10.
使いやすさを数値化するプロセスについて、専門外の方にもわかりやすく解説をしています。学術誌の論文もさることながら、全体像をつかむにはこういった周辺領域の雑誌もお勧めです。
下腿押圧器具,特開2022-126226
自らの歩行で簡易に、間欠的にふくらはぎを押圧できる下腿押圧器具を提供するものです。これにより、ふくらはぎのむくみを軽減できることが分かっています。
東海道新幹線における人間工学.人間工学,1965,特集記事,1(1),p.10-23.
今までに存在しないものをどのように発想し、社会実装するのか。東海道新幹線の人間工学的デザインを網羅的に説明した論文です。研究者の熱意と重厚な努力があふれています。読み返すたびに、背筋が伸びる論文です。
著者プロフィール
下村 義弘 Shimomura Yoshihiro
千葉大学デザイン・リサーチ・インスティテュート・教授
一般社団法人日本人間工学会理事、一般社団法人日本生理人類学会理事、一般社団法人日本内視鏡外科学会、一般社団法人日本口腔衛生学会、バイオメカニズム学会、看護理工学会等
ヒトの生物学的な生理・心理・形態的特性に基づき、使いやすい物や過ごしやすい環境の開発と評価を行っています。近年は医工学や口腔衛生の研究のほかに、保育、照明、家電、自動車、パッケージの共同研究も盛んです。また、“遊び”を内発的動機と意思決定、行為による脳内報酬系の賦活、と定義し、活動様式に規定されない遊びの概念をもとに、ウェルビーイングを増進する研究を行っています。