1 . はじめに
近年、使いやすさや快適性に特化した高付加価値な製品づくりが求められています。人が今快適か、ストレスを感じているかを評価するには、主観評価だけでなく生理的状態を測定することが有用です。筆者の所属する公設試験研究機関(公設試)注1 でも近年生体計測機器を活用し、人間の特性を考慮した製品開発支援を行っています。
一方でストレスの評価はイメージが難しく、緊張や疲労・心理的状態は目に見えない主観的体験のため直接測定できるものではありません。しかし体内では確実に変化が起きており、その変化を計測することで客観的な評価が可能になります。そのため本稿では、特に精神的なストレスを受けたときの体内の反応と、非侵襲的な評価指標について簡単にご紹介します。
2 . ストレスを受けた時の体内の反応について
ヒトがストレスを受けた時の反応経路には、応答時間や機能が異なる2種類があります。短期的な応答をするSAM系(視床下部-交感神経-副腎髄質系)と、長期的なストレス管理を行うHPA系(視床下部-下垂体前葉-副腎皮質系)です。脳がストレスを感知すると、視床下部が2つの経路を活性化させます。SAM系では数秒~数分で交感神経が活性化し、心拍や呼吸数・筋肉への血流が増加します。HPA系では数分~数十分でコルチゾール等が放出され、血圧や血糖の上昇、炎症の抑制など体をストレスに抵抗できる状態に切り替えます。中枢神経系(脳・脊髄)から自律神経系(交感/副交感神経)、内分泌系、免疫系まで複数の反応が同時に起こります。
3. 代表的な評価指標
ストレス反応の中で、非侵襲で比較的簡便に計測が可能であり、人間工学分野でよく用いられる生理的指標をいくつかご紹介します。
図1. ストレスを受けた時に体内でおこる反応
・脳波
頭皮上に電極を装着して脳の電気的活動を取得します。覚醒状態や注意などに関連して周波数帯域が変化し、特にリラックス状態の評価に用いられる事が多いです。注意点として、一定時間以上の計測が必要でリアルタイム評価には適していません。また脳波は特定の脳領域や神経活動を直接反映するわけではなく、個人差や変動も大きいため、結果は慎重に解釈する必要があります。
・脳血流量
脳は活動が活発になると血流が増加するため、集中・覚醒といった活動状態を評価できます。機能的近赤外分光法を用いて測定され、脳内の酸素化/脱酸素化ヘモグロビンの変動をリアルタイムで観察できます。装着・測定が脳波より容易な一方、髪の無い前頭部しか計測ができません。
・心拍数
緊張やストレス・運動などで交感神経が活性化すると増加し、リラックス状態や安静時など副交感神経が優位になると低下します。近年ではウエアラブルセンサでも簡便に計測が可能です。
・心拍変動(HRV: Heart Rate Variability)
心拍数の変動を指し、一般的に心電図のR波の間隔の変動がHRVに用いられます。周波数解析により交感神経と副交感神経を分けて評価ができることが特徴で、自律神経系のバランスを評価できます。一方で数分間の計測が必要なことと、姿勢や呼吸等からも影響を受けるため、実験・解釈には注意が必要です。
・血圧
交感神経の活動が増加すると血管の収縮や心拍数が増加し血圧が上昇します。腕帯を腕に巻いて締め付ける方法から、指先から1拍ごと連続測定できる方法など複数の測定方法がありますが、それぞれのメリット・デメリットを理解して選択する必要があります。
・皮膚電気反射(GSR: Galvanic Skin Response)
交感神経が活性化した時に生じる皮膚の発汗を電気的変化として測定します。刺激から1~2秒で反応し、手掌や指腹で簡便に測定ができます。一方で反応には個人差が大きく、量的な比較には向きません。
・コルチゾール
副腎皮質から分泌されるホルモンで、唾液や尿から採取ができます。ストレスが加わると10~20分で血中の濃度が上昇します。一日の中でも変動があるため、採取量や時間を合わせる必要があります。
4. おわりに
以上に挙げたものは一部であり、他にも脈波や瞳孔径など様々な指標があります。また運動・飲食などの生活中も体内での調節は絶えず行われており、狙った効果を正しく測定するためには多くの事を考慮する必要があります。例えば被験者属性(年齢、性別、生活習慣等)、測定時間や頻度、測定場所(実験室/現場)、測定環境(温湿度、光・音環境等)、被験者の状態(安静時/課題中、姿勢等)、被験者の安全性の確保や負担軽減も必要です。また一つの指標だけではなく、主観評価も含めた複数の指標を同時に計測することで、包括的にストレスの影響を理解することができます。
人間工学に関する様々な評価・計測機器は、全国の公設試で所有しており、ご紹介した評価のうち一部の生理計測もご利用頂けます。各機関の所有する評価・計測機器は人間生活工学機器データベースサイト DHuLE(デューレ)から検索できますので、是非ご活用ください。
注1:公設試験研究機関とは
中小企業の技術や製品開発等の事業展開に資する事を目的とし、各地方自治体に設置されている機関で研究開発、技術指導、依頼試験などを行っています。
例えば東京都の公設試の一つである東京都立産業技術研究センターをご利用の場合、機器や設備をご自身で操作いただく「機器利用」と、こちらで製品や材料をお預かりして性能評価や品質評価を実施する「依頼試験」の区分があり、利用についての詳細・料金は下記に公開されております。ご検討の際にご参照いただけますと幸いです。
東京都産業技術研究センター
設備を利用する
推薦図書・論文など
公設試験研究機関 人間生活工学機器データベースサイト DHuLE(デューレ)
全国の公設試験研究機関が保有している人間工学や生理計測関連の機器の情報を横断的に提供するデータベースです。登録されている機器は各設置機関にてご利用いただけます。
富田豊他、連載特集③人間工学のための計測手法.人間工学. 52(1), p.1-5
人間工学誌において1年以上(2014年50巻4号~2016年52巻第1号)にわたり連載された生体計測・人体計測に関する特集です。第1部~第4部から成り、動作計測から周囲環境による人体への影響、心理計測、電気生理学と、初学者向けから最先端の情報まで幅広い内容について第一線の先生方が執筆しています。
日本生理人類学会編集、カラダの百科事典.東京、丸善出版、2009.
生理人類学とは現代に生きるヒトを生理学的観点から研究する学問であり、人間工学とも近い領域です。生理人類学的アプローチで「ヒトのカラダ」に関する幅広い話題について解説しており、人間の特性について理解が深まります。
宮崎良文編集、快適さのおはなし (おはなし科学・技術シリーズ).日本規格協会.東京、2002.
森林浴研究で世界的に有名な宮崎先生を筆頭に、「快適さ」にとことん着目した一冊です。快適さとは何か?から始まり、具体的な実験データや、それらを応用した商品の紹介もされています。具体例が豊富で読みやすく、参考にしやすいかと思います。
著者プロフィール
志村 恵 Shimura Megumi
地方独立行政法人 東京都立産業技術研究センター研究員
一般社団法人日本人間工学会理事、一般社団法人日本生理人類学会理事
生体計測を専門としています。大学時代から人間工学分野で生理計測を広く行ってきました。以前は医療機器メーカーに勤務していましたが、医療現場の過酷さを垣間見て以来、ヒトにとっての適切な労働環境とはなんだろうと考えはじめ、気付いたら研究の世界に戻っていました。