1. はじめに
医療従事者の筋骨格系障害リスクを回避するための対策は多岐に渡りますが、単一的な対策ではなく多面的・多層的な対策を講じる必要があるとされています。わたしはいつもHierarchy of Controlsの概念を頭に浮かべて理解していますので紹介します。
ちなみに「ヒエラルキー」と発音するとネイティブの方には全く通じなかったのでご注意を。
図1. Hierarchy of Controls
[Hierarchy of Controls | NIOSH | CDCより筆者作成]
2. Hierarchy of Controlsとは
1950年、米国国立安全評議会(National Safety Council)がヒューマンエラーの安全管理システムとして産業界で知られていたHierarchy of Controlsを採用し、米国国立労働安全衛生研究所(National Institute for Occupational Safety and Health ; NIOSH)が産業保健分野に応用し、ハザード(危険源)の作業管理の標準として広く使われるようになったリスク軽減戦略モデルだそうです。
Elimination
危険そのものを物理的に除去することは最も効果が見込まれる対策です。業務の見直しにより作業を削減することはもちろん、知能・自律型のロボットおよびシステム(RIAS ; Robotic, intelligent and autonomous systems)の医療現場への普及が鍵となるでしょう。
Substitution
危険性のあるものをないものに置換する対策は、内視鏡や外科処置具等の寸法・力学的側面での操作系改良などが含まれます。移乗業務へのリフト導入も含まれます。置換した対策の潜在的な新しいリスクもあわせて検討することが人間工学専門家には求められるでしょう。
Engineering Controls
危険物から遠ざける工学的対策は、労働者がハザードに接触するのを減らします。モニターやベッド、作業台などの環境整備やスツールの配置などが含まれます。
Administrative Controls
働き方を訓練する対策であり、労働者のハザード曝露の期間、頻度、強度を減らす作業慣行を確立することです。働く姿勢、job rotation、休憩等が含まれます。
PPE
個人防護具(Personal Protective Equipment )は、工場・作業現場では防塵マスク、ゴーグル、化学防護服などが該当しますが、正しく使用するための管理も考える必要があります。MSDs軽減においてはコルセットやサポーター、軽量化された鉛エプロンなども挙げられます。
3. おわりに
Hierarchy of Controlsには、上層の対策ほど効果が高く、下層ほど効果が低いことを意識させる意図があるのですが、医療現場には技術、環境、費用など様々な制約があります。だからこそ多面的・多層的な対策を医療従事者に啓発する必要がありますし、企業の方が機器開発を進める上でもとても役にたつ概念だと考えています。
推薦図書・論文など
エティエンヌ・グランジャン著、中迫勝・石橋富和 訳. 産業人間工学 快適職場をデザインする. FITTING THE TASK TO THE MAN. 東京,啓学出版, 1992.
1970年まで国際人間工学連合(IEA)の会長を務められたグランジャン先生による著作第4版(1988年)の翻訳書です。私が小学生の頃に、すでに人間工学の集大成とも言える書籍が存在していたのかと思うと、「巨人の肩の上に立つ」という歴史の重みを感じます。絶版なので、もし手に入れることができたら大切に保管を。
平沢尚毅, 福住伸一(編). 顧客経験を指向するインタラクション-自律型システムの社会実装に向けた人間工学国際標準. 小樽商科大学出版会発行, 2022.
人間とシステムのインタラクションに関する書籍です。医療業界にも急速にAIやロボットが普及し、様々な健康課題やハザードが生み出される可能性があります。医療機器開発に関わる方には医療従事者のウェルビーイングを損なわないような視点も重要だと感じます
榎原毅,鳥居塚崇,他.人間工学者が今実践すべき3つのことーIEAの改訂コア・コンピテンシーから学ぶー.人間工学.2021, 57(4), p.155-164.
IEAの求めている人間工学専門家像をわかりやすく解説した論文です。私もバイブルとしてよく読み返しています。JSTAGEから学会員以外の方でも閲覧できます。
著者プロフィール
松崎 一平 Matsuzaki Ippei
医療法人山下病院 消化器内科統括部長
博士(医学)、日本人間工学会医療労働関連MSDs研究部会部会長、日本消化器内視鏡学会「内視鏡関連MSDs予防のための人間工学的対策研究会」代表世話人
ノンエルゴノミックな働き方により40歳手前で筋骨格系障害となったが、幸運にも人間工学に出会い、またバリバリ働けるようになった医師。筋骨格系疾患予防策の啓発と、人間工学に基づいた機器開発支援がライフワーク。いま興味のある分野はUI/UX。趣味は週2回の真夜中テニス。
多くの方に日本人間工学会に入会いただき、「痛みを我慢しなくてよい医療」を実現できたらと思います。