1. はじめに
Tip8では、働く人々の作業姿勢や作業条件に潜在するリスクを評価するツールが紹介されました1)。これらの人間工学的リスク評価ツールを上手く活用するために、リスクアセスメントの基本的な考え方を押さえておきましょう。
2. リスク評価でわかること
いわゆる人間工学的リスク評価ツールは、作業者や作業に内在する“リスク”に焦点をあて、リスクの有無やリスクの大きさを判定するために用いられています。一般に、人間工学的リスク評価ツールではリスクの大きさがリスクレベルとして段階的に示されます。例えば、腰痛リスク評価法の一つであるNIOSH Lifting Equation (NLE)ではリスクが低い場合に緑、中等度のリスクがある場合には黄、リスクが高い場合には赤といった具合に、トラフィックライト(信号機)モデルで段階的かつユーザーに分かりやすく示されています1-3)。では、そもそも人間工学評価ツールで評価している“リスク”とは何でしょうか?
3. 人間工学評価ツールで判定している“リスク”とは?
リスクを正しく理解するために、危害と危険源(ハザード)との関係を整理することが必要です。JIS B 9700によると危害とは“身体的傷害又は健康障害”、ハザードとは“危害を引き起こす潜在的な根源”、そしてリスクは“ハザードから生じる危害のひどさと危害の発生確率の組合せ”であるとされています4)。重量物を取扱う作業場で働く人に生じる腰痛(危害)を例に挙げて考えてみましょう(図1)。

図1 働く人の腰痛を例にしたリスク要素
取扱い重量物に潜む危害のひどさ(重ければ重いほど腰痛のひどさは大きくなる)と危害の発生確率(時間、回数、運搬距離、形状、作業者の経験、作業者の人数など)の組合せで腰痛リスクの大きさを判定できる。
この場合、ハザードとは作業者が取扱う重量物を指し、危害の発生確率とはハザードへのばく露(持ち上げる回数、時間、運搬の距離、対象物の形状など)、作業者の取扱い経験(熟練または非熟練)、一人作業の有無などの組合せによって腰痛リスクの大きさが異なります。即ち、作業者が重量物(ハザード)を持ち上げる際、20kgよりも40kgの重量物の方が潜在的な危害のひどさ(腰痛の程度)は大きく、また重量物を取扱う回数が1回よりも10回、1分よりも10分の方が腰部へのばく露量が大きくなり危害の発生確率は高くなります。つまり、20kg×1回×1分間取扱う組合せよりも40kg×10回×10分間取扱う組合せの方が腰痛リスクはより大きくなると理解できます。
従って、人間工学的リスク評価ツールを適用する際には、対象となる作業場や作業者がどのような作業を行っているのかを把握した上で、最適な評価ツールを選択しないと、リスクを低く(または高く)見積もってしまうことがあるため、評価ツールの適応については事前にしっかりと検討しておく必要があります。
4. おわりに
評価によって導かれた作業場のリスクレベルを適切に改善するためには、システムズ・アプローチの観点から5)、作業者だけでなくその周囲の作業条件・作業方法や組織の状態なども加味して、ヒエラルキーコントロール6,7)を参考にしつつ適切な職務再設計(ワーク・デザイン)を行う必要があります。リスクアセスメントは、いわば適切なワーク・デザインを実践するための道標のようなものです。作業場・作業者のリスクを正しく理解し、包括的なリスクコントールができるよう人間工学的リスク評価ツールを活用しましょう。
推薦図書・論文など
1)平内和樹. Tip8 人間工学評価ツールに関するウェブサイトの紹介. 医療と私の人間工学 100 Tips. 2024.
人間工学評価ツールが紹介されたウェブサイトに関するTip記事です。世界的に使用されている様々なツールがアプリとしてダウンロードできます(しかも無料!)。
2)Waters TR, Putz-Anderson V, Garg A, Fine LJ. Revised NIOSH equation for the design and evaluation of manual lifting tasks. Ergonomics. 1993;36(7):749-776.
世界で最も使用されているNIOSH lifting equation (NLE)の原典です。
3)日本産業規格. JIS Z 8505-1 人間工学-手作業による取扱い-第1部:持ち上げ、持ち下げ及び運搬. 東京, 日本産業規格, 2024.
NLEが紹介されている重量物取扱いに関する国際規格ISO11228-1を日本産業規格化したものです。多発する職場の災害性腰痛の軽減と労働環境の改善に貢献するために我が国でもJIS規格として制定されました。
4)日本産業規格. JIS B 9700:2013 機械類の安全性―設計のための一般原則―リスクアセスメント及びリスク低減. 東京, 日本産業規格, 2013.
ISOとIECが共同で策定した安全規格の体系の一つである基本安全規格であるISO12100(2010)の日本産業規格です。機械を安全に設計する上でのリスクやリスク低減の考え方・方法などを規定したJIS規格です。なお、ISO12100-1:2003、ISO12100-2:2003およびISO14121-1:2007を1つにまとめた国際規格がISO12100です。
5)榎原毅,鳥居塚崇,他.人間工学者が今実践すべき3つのことーIEAの改訂コア・コンピテンシーから学ぶー.人間工学.2021, 57(4), p.155-164.
IEAの求めている人間工学専門家像を紹介した論文です。システムズ・アプローチの考え方が分かりやすく解説されています。
6)National Institute for Occupational Safety and Health (NIOSH). Hierarchy of Controls. Published: April 10, 2024.
従来よりヒューマンエラーの安全管理戦略に活用されていたHierarchy of Controlsを、米国国立労働安全衛生研究所(NIOSH)が労働安全衛生のリスクコントール戦略として産業保健分野へ応用したものです。7)のTip記事で分かりやすく解説されています。
7)松崎一平. Tip1 Hierarchy of Controlsを意識した対策. 医療と私の人間工学 100 Tips. 2024.
上記6)のNIOSH Hierarchy of Controlsを研究会代表の松崎先生が分かりやすく解説したTip記事です。英語が苦手な方はぜひこちらをご覧ください。
著者プロフィール
谷 直道 Tani Naomichi
産業医科大学産業生態科学研究所人間工学研究室 助教
日本人間工学会、日本産業衛生学会、産業保健人間工学会、日本公衆衛生学会、日本疫学会、日本理学療法士協会
博士(芸術工学)、医療経営・管理学修士(専門職)、理学療法士。
整形外科リハビリテーション科及び理学療法士養成校の専任教員、(一財)日本予防医学協会等の勤務を経て、2023年より現職。ISO/TC159(人間工学)国内対策委員会SC3分科会委員、ISO 11228-1 JIS化原案作成委員会委員および分科会委員(JIS Z 8505-1)、福岡産業保健総合支援センター産業保健相談員、日本産業衛生学会 作業関連性運動器障害研究会世話人。産業保健リハビリテーション研究会代表世話人。